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  06 ,2017

2年半に及んだ世界旅を終えてからの日常や料理のこと。


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たんたん&オカナ

Author:たんたん&オカナ
コックの二人が仕事を辞めて2年半の世界一周旅行へ。無事に帰国し結婚。再びコックの世界に戻り、日々奮闘。料理漬けの毎日を送る。

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Category: カンボジア

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キーリングフィールド
チョムリアプスオ! たんです。




ベトナム縦断も無事終わり
そこから自然な流れとして進むのはまだ行ってないカンボジア。

じゃあ行って見ましょうか!!

かんぼじゃへ!


ベトナムのホーチミンでカンボジアの首都プノンペン行きのバスをチョイス。
宿のツアーデスクで頼んで11ドルでした。

当日の朝、宿までピックアップ9時発のバスで出発!

最近ずっとバスはスリーピング続きだったけど今日は普通の席。
久々ですぐケツいたなった。

2時間ほど走ったところで国境に到着。

カンボジアはビザが必要な国です。
事前にバスの中でパスポートをバス係りの人にカンボジアのビザ代25ドル(ビザ代20ドル+手数料5ドル)と共に預けていたので、出国の時はバス下りてちょっと歩いただけ。
そして今度はカンボジア入国。
今度は降りることなくバスで待機してました。

そこも殆ど待つことなくそのまま国境を通過。

直ぐ近くの食堂に入ってお昼休憩でした。
その後パスポート返された。。

カンボジアに入ったら文字がまた分からない系。
P9200007.jpg

ベトナムとかで見かけた三角帽子も全然見なくなっちゃった。
あとはベトナムと比べたら肌の色がだいぶ濃くなっってるね!

P9200008.jpg
それから3時間くらいかな?
プノンペンに到着したよ。

そこから宿までは1キロくらい離れてたから歩いたよ!?

その途中でトゥクトゥクの客引きが
「キリンビアー?キリンビアー?」
って言いながら寄ってきたからてっきり近くにキリンビールの工場があってそこに行かないか?って誘ってんのかと思った。

そして宿に入ってネットで早速「キリンビール プノンペン」って検索したら全然工場なんて来やしない。
その後もプノンペン観光の事調べてたら「キーリングフィールド」って場所がどうやらキリンビールの事と分かった。
ってことで俺の聞き間違い。。

調べたらキリンビールと全然関係ないところだったよ。

ちょっと気持ちが重くなる出来事だった。


ってことで早速翌日その関連施設に行ってきた。


カンボジアの歴史なんて何も知らなかったんだけど
今回の事でそんなことがあったのかと2人とも初めて知ったよ。

難しいことは書けないんで知りたい人は自分で調べてね!→とても分かりやすい解説です


今から37年前の1975年から1979年にかけてポルポト政権が行った大虐殺
この4年間の間に約200万人が虐殺された。

まずはトゥールスレン博物館

ここは当時14000~20000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が分かっているのは7人)のみであった(これまでは7人とされていたが、2007年、別の刑務所に移送されたため生き残った女性1人が名乗り出た)。


P9210037.jpg
元々は高校だったこの場所。
学校の教室だったところが拷問部屋として使われてました。

壁にかかってる写真には発見された当時の生々しい遺体の写真が写ってました。

P9210059.jpg


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実際に拷問に使われた道具


P9210045.jpg

上から逆さに吊るされて水の入った壺で溺れさす場所


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P9210056.jpg

なんかホント生々しさがリアルに伝わってくる場所でした。
気分重い・・・



そしてそのままトゥクトゥクに乗ってキーリングフィールドへ向かいました。


トゥールスレンに収容されていた生き残った人達が最後に向かう場所です。

キーリング・フィールド(The Killing Fields)は、ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称。

クメール・ルージュの秘密警察である「サンテバル」は、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害した。後には、クメール・ルージュの地方機関や事業所の幹部までもが反乱の恐れ有りとして殺害されていった。

これら多数のカンボジア人が殺害された刑場が、現在のカンボジア各地で「キーリング・フィールド」と呼ばれている場所である。最も有名な物は、首都プノンペンにあった政治犯収容所(トゥール・スレン)に付属する刑場として造られた、チュンエクのキリングフィールドである。




P9210079.jpg
この場所でも大勢の人が殺されて埋められました。


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一見ただのヤシの木ですが、銃の弾の無駄遣いを減らすために凶器として使用されていました。砂糖椰子の枝にはのこぎりの歯のようなギザギザがついているのですが、これを使って首を切ったのです。

P9210087.jpg


この一帯には無数のくぼみはが。これは遺体が埋められていた穴を掘り起こした跡。その数は80以上だそうです・・・

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この木は通称キーリングツリーと呼ばれています。それはとても衝撃的な事実でした。。。兵士が母親の目の前で子供(赤ん坊)の両足を持って、頭を木の幹に打ち付け殺すのです。

P9210111.jpg



P9210113.jpg

今もまだ沢山の遺体が埋められたまま。
雨が降って土が流れるとこうして実際に埋められた人の衣類や骨が出てくるそうです。


リアル過ぎて怖い。

恐ろしいことが起こっていたってことを知りました。
同じ人間同士なのにどうしてこんな残酷なことが出来るのか。。。

この出来事は今でもカンボジア人の心の中に深い傷を与えています。


二度とこんな過ちは起こってはいけない。



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